2014年2月13日木曜日

冬の京都 part2 幕末歴史探訪ツアー

新撰組の屯所があった壬生寺横の八木邸
ここに局長近藤勇、副長土方歳三等そうそうたる隊士たちが住んでおりました

浅葱色(水色)と白のコントラストが目を引きます
ダンダラ模様の羽織を着た隊士たちが京都を闊歩すると
討幕派の浪士は恐怖のあまりに凍りついたと言われます


到着時間が遅くて中には入れませんでしたが
次回来たときに内部も見たいと思います
ちなみに内部抗争で芹沢鴨が殺害されたときに付いた
刀の傷が柱に残っているらしいです
たそがれ時の三条大橋
下を流れるのは鴨川です
池田屋事件が起こった場所
現在は居酒屋さん「池田屋 はなの舞」になってます
新撰組が切り込んで長州藩士を中心とする尊攘派志士が
多数殺害および
捕縛されました

現在の居酒屋さんは歴史ファンや家族連れでも楽しめるような雰囲気で
私たちもここで食事しました。

往時の雰囲気を再現したような内部
この階段なんか雰囲気ですよね


新撰組隊士の備品レプリカも展示してます
近藤局長の刀は名刀「虎徹」長がーっ!
戦いは市内にも広がって
この三条大橋の欄干金具にも刀傷が残ってます
撮影時間は前後しますが長州藩はこの事件をきっかけに
激高し挙兵・上洛し、禁門の変を引き起こしました
で、ここがもっとも戦闘の激しかった場所の「蛤御門」

その後歴史は転換し長州征伐、薩長同盟、大政奉還へと
大きく明治維新に向かって舵が切られます
長州軍が撃った鉄砲の弾丸によって出来た
弾痕が残ってます

当時はすでに西洋式銃だったんですが
弾痕は1cm弱の凹程度で流石は御所、相当硬いというか丈夫な木材使ってるんですね
三条大橋からすこし南に入った木屋町通り
「龍馬通」って名前になってました
以前この名称は無かったですがいつから付いたんでしょう?
この橋を渡って右に入った所に坂本龍馬の常宿「酢屋」があります

坂本龍馬、中岡慎太郎が遭難した「近江屋あと」
場所は四条川原町ちかくの繁華街
先斗町
昔ながらのたたずまいを残し
狭い路地に料亭、バー、小料理屋さんが軒を並べてます
私は結構この場所好きですね~

仕事帰りのサラリーマン?
哀愁ありますね

以上本日の京都旅行終了ですm(__)m

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